ワークスペースQULEBOがある街の話

 豊島区北大塚に事業所があるワークスぺースQULEBO(クレボ)の最寄り駅はJR大塚駅と都電荒川線の大塚駅前駅となっています。

JRの山手線といえば、都内に住まう方はもちろん、東京都以外の方も一度は耳にしたことのあるくらい知名度が高い路線だと思います。

一方で、都電荒川線については東京都民ですら知らない方がいるくらいマイナーな路線の一つだと思います。

 実際に、7月上旬行われたハローワークさん主催の合同面接会に参加した際、一緒に参加した利用者さんのなかに、都電荒川線を初めて乗ったと言っていた方がいらっしゃいました。

 その時、私がそうなのですが、荒川線の路線近くに住んでいても1度も乗ったことがないという人も一定数いるのかなと思いました。

そこで、今回は都電荒川線について調べてみようと思います。

 

目次

都電荒川線の歴史

 かつては東京都23区内を中心に、ピーク時で40路線を展開していた都電路線ですが、高度経済成長に伴う自動車の増加により次々に廃線し、大部分はバス路線として受け継がれていきました。そのなかで都電荒川線は東京都交通局が運営する都内に唯一残る路面電車の路線なのです。

 都電荒川線の前身は明治44年(1911年)8月に大塚~飛鳥山間(大塚線)を開業した王子電気軌道株式会社で、大正2年4月には飛鳥山下~三ノ輪間(三ノ輪線)が開通。大正14年11月に大塚線と三ノ輪線が1本化されました。その後も王電は路線の拡張を続け、昭和5年3月に現在も残る早稲田~三ノ輪間のすべてが開通しました。

 昭和17年(1942年)の陸上交通調整によって東京市電局に併合され市電となり、翌年(1943年)、都政施行に伴い東京都交通局に名称を変更すると共に名称は都電となりました。

 都電最盛期の昭和18年(1943年)には41系統が存在し、一日の乗車数は約193万人を数え、都電は都民の足としてなくてはならないものでした。

都電存続の危機

1960年代の交通渋滞深刻化への対策ならびに赤字公共事業整理、都営地下鉄整備の費用負担を背景に、東京都は1967年から都電を相次ぎ廃止し、一時は全線廃止を検討したそうです。

 しかし、例外的に27系統(三ノ輪橋~赤羽)と32系統(荒川車庫前~早稲田)は共に路線の大半が専用軌道であることや代替バスの運行が難しいこと、沿線住民と都民からの強い存続要望があったこともあり、27系統を三ノ輪橋~王子駅前に短縮し存続が決定したのです。

さらに1974年には撤去計画が撤回され、それまで別系統として運行されていた27系統と32系統を統合し、新たな案内上の統一路線名として「荒川線」と名付けられ、現在の都営荒川線が誕生したのです。

多くの人に愛される都電

2017年には、公募による愛称の募集が行われ、「沿線に名所が多く、イメージに合っている」「日本と東京を象徴する花で、外国人にも親しまれている」、「日本語・ひらがなで、日本らしさが感じられ、語感も良い」などの理由から最も支持を得た「東京さくらトラム」に決定。地域住民だけではなく、海外からの観光客にも親しまれています。

 現在、東京さくらトラム(都電荒川線)には30の停留場が設置され、乗車数は1日約5万人。沿線住民の足としてはもちろん、ノスタルジーあふれる路線として依然高い人気があり、下町情緒あふれる風景を眺めながら東京さくらトラム(都電荒川線)の旅を楽しむ観光客も見うけられます。


 荒川区の線路沿いにはバラの植栽が行われており、花の時期には区民参加のバラのサポーターにより手入れがなされた約1万2000本ものバラが咲き誇り、車窓から見える花々の美しい姿は見ものです。

最後に

 四季折々で見える景色の移り変わりを楽しむのも良いですし、路面電車ならではの音や乗り心地を楽しむのもいいのではないでしょうか。

 都電荒川線を利用したお散歩や街散策のついでに、大塚駅前駅に降り立ってワークスペースQULEBO(クレボ)に来ていただけるととっても嬉しいです。

いつも同じルートで行くのも良いですが、たまにはいつもと違う方法でお出かけしてみてもいいかもしれませんね。

 

 そうすることで、新しい気持ちで作業に向かえるかもしれませんよね。その時の気分や見つけたことを聞かせていただけると嬉しいです。

毎日のなかで、どんなに小さなことでも発見や成長していければいいなと思っています。

 

 

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