Life is survival〜人生はサバイバル〜

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第5章:思考パターンが違い過ぎる為に疎まれて

父親が倒れてから様々な手続きを終えて、今まで使う機会が無かった有給休暇で静養していました。

そして元のお店に戻り、私を正当に評価してくれている上司に今回の一部始終を報告しました。
お店をリニューアルオープンする計画があり、それを機に社長に昇進の推薦を行うつもりだとの事でした。
ですが現在の役職に昇進する際に、同僚の人から入社時期が早いのになぜと疎まれて無視される事があったのでそれを懸念していると正直に伝えました。なのでその人が昇進してからでなら構いませんと提案しました。

昇進自体にはあまり興味はなく、遊技台のメンテナンス、イベントの立案やPOPの作成、店内アナウンスの原稿作成に集中していたら昇進したというだけの話です。しかし何人かが自分を疎ましく思っていた事には気付いていましたが、段々と人間関係や派閥が鬱陶しくなり、社長から他店舗の異動の話が来た際にこれ幸いと退職しました。正直、この時は父親が倒れて対応してから店内で頻繁にパニック発作を起こしていて、まともに働ける状態ではありませんでした。
何度も引き止められましたが、私の意思は固く、老兵は只消え去るのみと前もって教育した後輩の社員に役職の席を譲りました。

第6章:退職後も悪戦苦闘

会社を退職したものの、父親は働く気配を見せなかった。前職のボーナスで自宅の店舗POP作成とレポート作成用にデスクトップパソコンを購入したが、自宅でできる仕事はないかと検索しても怪しい情報商材ばかりだった。当時はまだインターネットが普及しておらず、ネット回線もADSLが最速の時代。一度だけ情報商材を購入したものの、稼ぐのは無理だと感じた。その内容は、訪問したサイトの情報を自分でホームページ等を作成して同じように宣伝し、購入を促すというものだった。しかし、異なるサイトでも同じ情報が宣伝されていれば、いずれ情報は飽和して無価値になると考え、すぐに手を引いた。

体調を崩して心療内科に通院し、服薬治療を開始したが、家族の理解は皆無でした。「変な薬は飲むな」などと怒号を浴びせられ、無知は罪だと痛感した。家にいる時は自律訓練法認知行動療法などの精神療法を調べ、少しでも良くなるように実践していた。

父親は2型糖尿病の合併症である慢性腎不全により、人工透析を受けなければ生きられない体になっていた。弟は高校に入学したものの、校風に合わずに登校拒否となり、一時音信不通だった兄(血縁関係はない)は職場に馴染めずに実家に戻っていた。戸籍上は養子だった兄だが、実の母親が父の姉だと知らされた時はまだ小学生高学年で、後になって考えると一番の被害者だったと思います。

私は仕方なく派遣業に飛び込み、建築現場を転々とする日々を送っていた。雑工の手元、荷揚げ、解体工の手伝い、電気工事の手元、養生作業など、元々手先の器用さもあり、複数の会社から採用に誘われたが、直接雇用は禁止されていたため、後ろ髪を引かれる思いで丁重に断った。たまに以前の業界の仕事も派遣で入ったが、少し離れていたブランクと服薬の影響で以前のようには動けなかった。以前は当たり前にできていたことができなくなるのは、こんなにも辛いものかと痛感した。

ならばと、前述した情報商材でかじったHTML言語を本格的に学ぼうと思い、書店で関連書籍を購入し、派遣業の合間に独学で勉強していた。IT関係に限らず、人生は常に勉強が必要だと考えている。自分自身のアップデートを怠れば、後悔して嘆くのは自分自身。それはAI関連が発達した今でも同じだと思います。

継続

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