遠い記憶。

「私は必ずしも”競馬が人生の比喩”だとは思ってはいない。その逆に”人生が競馬の比喩”だと思っている」
                                         寺山修司

私が生まれた当時、父親は定職に就かず、実家からの仕送りをギャンブルで増やそうという考えで動いていた。

「賭博の構造の中には、きわめて回転の速い富の流通回路の構造がひそんでおり、弱者にも偶然のチャンスというたのしみが残されているのだ」寺山修司

父親はこんな考えで動いていたのだろうか?

偶然のチャンスを当てにしていたのだろうか?

おそらくは、偶然のチャンスにかけていたのだろう。

さて、話題は変わってしまうのだが、まだ零歳だった私の記憶に競馬があった。

直線の攻防。

騎手は激しく馬を追い、鞭を入れ、ゴールへと向かう。

勝ち目のある馬は勝つために、勝ち目の薄い馬はひとつでも高い順位を。

そんな映像が映ったテレビの画面をたしかに私の脳内に刻まれていた。

わたしが競馬を知るようになってから、その映像が記憶違いでないことを理解した。

ビデオで見たレースの映像は記憶とたがわぬものだった。

また、父親がこのレースを見たわけも理解した。

皐月賞馬、ダービー馬、ケガに見舞われたが奇跡的な回復で本番に間に合わせた関西馬。

この三頭の激突は確かに熱いものだったろう。これほどの大レースはなかなかお目にかかれないだろう。

しかし、このレースに、この三頭は敗れた。勝ったのはだれが見ても、考えても、優勝するはずもない、伏兵、と言っていい馬だった。

父親はなにに人生を託したのだろうか?

残念ながら父親がレース後、どんな反応をしたかがわからない。

その後、父親はギャンブルから足を洗い、まともな職についたようだ。

一方、大レースで激闘を繰り広げた馬たちは戦いを続けていった。

皐月賞馬 トウショウボーイ。

菊花賞馬 グリーングラス。

天皇賞馬 テンポイント。

世にいう「TTG」と呼ばれた3頭である。

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