Life is survival〜人生はサバイバル〜

第3章:変動する社会と臨機応変力:米の価格高騰を例に
現代社会は変動が激しく、それに伴い物価も大きく変動しています。特に、主食である米の価格高騰は深刻な問題です。この背景には、インバウンド制度の導入、残暑の長期化、少雨など、様々な要因が複合的に絡み合っていると考えられます。
日本は四季があり、これまで安定した米の供給が可能でした。しかし、昨今のような異常気象が続くと、従来の気候に適した農作物は不作となり、有効な対策が講じられていない現状を考えると、今後も同様の状況が続くことは容易に想像できます。
そこで私は、日本産ではなくベトナム産の日本米を購入してみました。ベトナムは熱帯モンスーン気候に属しており、高温多湿で雨季と乾季があります。南部は高温多湿で日本の暖かい地方の夏に似た気候であり、稲作も盛んです。
価格を比較すると、日本産米は安くても3,400円程度するのに対し、ベトナム産米は2,480円でした。かつて米不足を経験した世代には懐かしいタイ米は長粒種ですが、日本米はジャポニカ種であり、ベトナム産日本米も同様です。見た目は変わりませんが、触った感じは少しサラサラしており、恐らくは水分の含蓄量の違いではないかと思います。
実際に炊飯してみると、ツヤ・甘味はそこまで変わりませんが、少し粘り気に欠ける気がしました。炊き込みご飯で試食したところ、炊き立ては美味しく頂けましたが、保温を続けると固くなりやすいように思います。したがって、保温は切り、食べる際に温め直すと良いでしょう。
今年も物価高騰は継続すると予想されるため、調味料等にこだわりがなければ、評判の良いプライベートブランドを使用することで、家計の負担を軽減できる可能性があります。調味料以外にも、日用品や食品など、様々な商品でプライベートブランドが展開されており、賢く選択することで家計の負担を軽減できます。
私の家では自炊が基本であり、調味料の使用頻度が高いです。スーパーマーケットでも、プライベートブランドが充実しているものの肉や魚の品質が今ひとつの店、全体的に価格は高いものの肉、魚、野菜等の品質が保証されている店、24時間営業でコンビニより少し安い程度の価格設定だが自宅から一番近い店など、それぞれの店舗に特色があります。
今後は、状況に応じて臨機応変に食料を調達する必要があるでしょう。

第4章:臨機応変力に至った経緯
私が臨機応変力という思考パターンを持つようになったのは、幼少期の家庭環境、形成された性格、そしてADHDであることが由来だと考えています。
幼少の頃から、働かずに言動は嘘ばかりで、その時の気分で怒号を上げる父親がいました。そのため、私は幼い頃から人の顔色や目線でその人が何を考えているか、また発言が嘘でないかどうかを予測する必要がありました。小学生高学年から家事を仕込まれて、中学生の頃からアルバイトをして家計を助けていました。当時の私はそれが当たり前だと思い込んでいました。
一日中寝ている父親だったので、友達を家に誘うこともできませんでした。高校時代には、学力がクラスで一番になり、試験で満点を取っても、父親は一度も褒めてくれませんでした。高校を卒業してすぐに母が亡くなり、大学受験を諦めてくれと父親から言われ、私自身の唯一の夢であった医療の道も閉ざされました。
仕方なく正社員として働き、昇進した時も、一度も褒めてもらえませんでした。恐らく私は、たった一言が欲しかったのだと思います。「よく頑張った」「さすが俺の息子だ」と。今思うと、その一言を熱望していたのでしょう。
このような経験を経て、私自身は父親を反面教師として、役職に就いた時に決めていたことがあります。
- 課題をこなした時は、きちんと口に出して褒め、評価する。
- 失敗した時は、決して感情的に怒鳴らず、なぜ失敗してしまったのかを一緒に考えて対応策を提示する。
- 注意する時は、お客様の目の前では絶対に行わない。
- 自分自身が手本となり、それができてから指導する。
相変わらず父は働いていなかったものの、しばらくの間は比較的平穏な日々が続いていました。
その後、祖父が亡くなった時に帰郷の道中でフェリーに乗っていた際、父があくびをしたと思った瞬間、痙攣を起こして倒れました。
呼吸はしていたものの意識がなかったため、周囲に知らせて救急車を呼び、近くの病院へ搬送しました。病院に父を託しましたが、保険証を持っていなかったため、医療費のことが心配でした。当時はスマートフォンが普及する前だったため、携帯電話で役所に連絡しました。役所の担当者に事情を説明したところ、保険証がなくても保険診療を受けることができました。父が倒れた原因は、当初は脳に異常があるかもしれないと医師から言われました。その後の検査で、2型糖尿病による低血糖と過労が原因だと判明しました。
医療系の大学受験では、糖尿病に関する問題が頻出であり、父の症状を見て「もしかしたら」という考えが頭をよぎりました。ましてや一日中寝ているばかりの生活で身体に良い訳がありません。その後、私が何度忠告しても、父は生活習慣を改めようとせず、慢性腎不全へと進行し、人工透析が必要な体になりました。人工透析を受けることになり、私が一人で手首の血管バイパス手術の手配や、1級身体障害者の申請を行いました。今思うとこの出来事を境に、物事を俯瞰して冷静に見つめ、知識、経験、想像力が一致した時の自分の思考パターンの覚醒を経験した過去だったと思います。しかし、その思考パターンは残念ながら、周囲とあまりにもかけ離れているがゆえにやがて軋轢を生むことになっていきます。

継続