Life is survival〜人生はサバイバル〜

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第7章:会社設立の手伝い

悪戦苦闘の日々を送りながら派遣業で働いていたが、お金は全く貯まらなかった。当時の建築現場では、会社ごとに差はあったものの、日給は7,500円から8,500円程度。本来ならもっと多くもらえるはずの仕事も、ゼネコンなどの大手からの下請け、さらにその下請けという形で、搾取(中抜き)されていた。

何とかしなければと思っても、免許も資格も持っていない私にできる仕事は限られている。必然的に肉体労働にならざるを得ないが、服薬しながらの力仕事では以前のような体力はなく、頭の回転も鈍っていた。

そんなある日、以前勤めていた会社の元上司から連絡があった。結婚式にも参加したことのある方だったが、彼は私を疎ましく思っている一人だったので、正直なところ会社を辞めた後は関わりたくなかった。

実は現在手術を控えて入院しているものの、誰もお見舞いに来ないため、来てくれないかと催促されたのだ。お見舞いとはあくまでも善意で行くものであり、決して催促するものではないと感じながらも、仕方なく病院へ向かった。

それでも病院に赴き、お見舞いに言って近況を話して生活に困窮している事も話した。すると「じゃあお金を貸してあげるよ」と手渡された。でも彼の性格をある程度は把握していたので、私は何か裏があるなと感じながらも受け取ってしまった。お見舞いから少し経った頃に無事に退院したとの連絡があった。

退院祝いをするから来てくれないか?と言われて、生活費を借りた手前、形式上と思い顔を出して直ぐに退散するつもりだった。

その退院祝いの席で、結婚式で見かけた人がいた。元上司の兄との事だった。話が盛り上がっている中、その人から「実は今度、電気設備会社を立ち上げるんだけど、会社のホームページを作成できる人を探している」と持ちかけられた。

成程、そういうことか。前職で店内のPOPなどを作成していたが、その話を聞きつけたのかもしれない。

そして予想通り、「今仕事を探しているならやってみないか?」と勧誘された。正直、当時は精神薬を服用しながらの日雇い派遣で、精神的にも肉体的にも辛いものがあった。しかし、後になってこの決断が間違っていたことに気づく羽目になる。

重要な決断は体調が悪い時には即答してはいけないという自分の鉄則を、失念していた。

第8章:技術者を冷遇する会社に未来は無い

こうして知人の兄弟と電気設備会社を立ち上げることになった。私の担当は会社のホームページの作成と管理。前回の記事で触れたが、情報商材を購入した際にホームページの作成(今のように簡単に作成できるツールは無料ではなかったので、すべてコードは手書き)自体は我流で覚えたものの、会社のホームページとなると更なる知識が必要だと考え、関連書籍を購入した。
ホームページビルダーはあったかも知れませんが当時は高価だったと思います。

私の学習方法としては、本を購入してからは最初に一通り読んでから、実際にやってみる。自力で解決できない場合や考えてもどうしてもわからない時に改めて本を読み返す。そしてその工程を繰り返して体で覚えていく。さらに関連付けて覚えるようにすると飛躍的に知識を吸収できるようになる。基本的なことを覚えるまでは時間がかかるが、その後の応用は早い方だと思う。

早朝5時に起床し、ほぼ始発の電車で元上司宅へ向かう。最寄り駅から徒歩で8時に到着し、9時の業務開始に向けて準備を始める。前日に書籍と自宅PCで予習していたため、業務内容は把握済みであり、黙々と作業に取り掛かる。会社のイメージカラー選定時、電気設備会社設立に至った経緯を伺った。

2001年当時エコキュート1を導入には条件付きで補助金が支給され、普及すれば顧客獲得に繋がるとの、将来を見据えたとは言い難い話であった。

この時私が感じた問題点は、まず停電時には全く機能しない点、そしてエコキュートに限らず電化製品には寿命が付きまとう点である。寿命の要因は内部部品の劣化や使用頻度などが挙げられるが、メンテナンス次第で一定期間は使用可能だろう。しかし、それでも寿命は10年から15年程度が妥当と考える。さらに、補助金適用でも導入コストは高く、設置スペースも広いため、集合住宅への導入は困難である。また、小規模な電気設備会社は地域密着型になりやすく、コネクションが少ないため、顧客拡大は容易ではない。恐らく、利益率の高い案件は大手の電気設備会社に奪われ、下請けに甘んじることになるだろう。その結果、利益は微々たるものに留まると予想した。

だが、これらの懸念は口に出さず、状況を見守ることにした。口出しは事態を複雑化させる恐れがあるし、自ら気づき、対応策を講じなければ成長は見込めない。ましてや子会社の社長であれば、この経験を糧にできるか否かを見極めたい。今は自身の業務に集中し、相応の報酬を得られれば十分である。

2週間ほどで基本となるトップページ、各メーカーの商品詳細ページ、エコキュートの説明ページ、補助金の説明と条件のページ、お問い合わせページとQ&Aを作成した。当時のSEO対策2は近年とは異なり手間がかかる上に効果も薄く、とにかく煩雑であった。FFFP3ツールを使用してサーバーにアップロードし、動作確認を行った。

書籍で情報収集した成果もあり、一ヶ月足らずで完成させた時は、ほぼ独学でやり遂げたこともあって、喜びもひとしおだった。そして待望の給料日。提示された金額は14万円。
当時のホームページ作成管理は高給取りに近い職種であったが、技術者を軽視する会社に未来はない。随分と安く見られたものだ。この時から私は退職のタイミングを見計らい始めた。

正直、日本という国自体がそうだが、技術者・研究者を蔑ろにしてきた報いは必ず受ける。国内のセキュリティの脆弱さがそれを物語っている。

私の仕事に対するスタンスは、給料に見合った仕事は全力で行う。ただし、給料以上の仕事は行わない。そして、正当に評価されないならば、いつでも辞める覚悟で仕事に臨んでいる。それは障害を背負った今でも変わらない。

脚注 

  1. エコキュートとはエコキュートは、ヒートポンプ技術を利用して効率よくお湯を沸かす給湯器です。
    2001年にコロナが世界で初めて家庭用エコキュートを発売しました。
    その後、各メーカーが開発・販売を開始し、省エネ性能の高さから普及が進みました。 ↩︎
  2. 2001年代のSEO対策は、現代のSEOとは大きく異なる特徴を持っていました。当時の主なSEO対策と、その背景について解説します。

    2001年代のSEOの特徴
    検索エンジンの黎明期: Googleが台頭し始めたものの、Yahoo! JAPANが主流であり、ディレクトリ型検索が一般的でした。
    検索エンジンのアルゴリズムが未熟で、単純なキーワードの出現頻度や被リンクの数がランキングに大きく影響していました。

    キーワード重視: キーワードをタイトルタグやメタタグ、本文中に大量に含める「キーワードスタッフィング」が横行していました。
    関連性の低いキーワードを詰め込むことで、検索順位を上げようとする手法も一般的でした。

    被リンクの重要性: 外部サイトからの被リンクが、サイトの評価を大きく左右していました。
    質の低いサイトからの大量の被リンクを購入する「リンクスパム」が横行していました。

    ディレクトリ登録: Yahoo! JAPANなどのディレクトリに登録されることが、SEO対策として非常に重要でした。
    ディレクトリ登録は、サイトの信頼性を高める効果もありました。

    主なSEO対策
    キーワードの最適化: タイトルタグ、メタタグ、本文中にキーワードを適切に配置する。
    キーワードの出現頻度を高める。

    被リンクの獲得: 質の高いサイトからの被リンクを増やす。
    リンク集サイトに登録する。

    ディレクトリ登録: Yahoo! JAPANなどのディレクトリに登録する。

    HTMLの最適化: HTMLタグを適切に使用する。
    サイトの読み込み速度を向上させる。

    当時のSEOの問題点
    検索エンジンのアルゴリズムの脆弱性: 単純なキーワードの出現頻度や被リンクの数に依存していたため、質の低いサイトでも上位表示が可能でした。

    スパム行為の横行: キーワードスタッフィングやリンクスパムなど、検索エンジンの意図に反する行為が横行していました。

    ユーザー体験の軽視: 検索順位を上げることに重点が置かれ、ユーザーにとって有益なコンテンツが軽視されていました。 ↩︎
  3. FFFTP(エフ・エフ・エフ・ティーピー)とは、Windows用の無料FTPクライアントソフトウェアです。主に、Webサイトのファイル管理やサーバーへのファイル転送などに利用されます。 ↩︎

AI bot Gemini より

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